2020/08/04

歴史から見えてくる課題は何か?(9)

 

 

世界を震撼させた天然痘

 江戸時代は、西洋医療が日本に入ってきた時代でもあった。そのなかで、最も効果があったのが天然痘の治療である。

 天然痘はウイルスによる病気で、患者は体中に発疹ができて化膿する。肺にも膿疱ができて、呼吸困難になり、患者の半数が死亡する。治癒すると免疫ができて2度と感染しないのだが、体表に多数の瘢痕が残る。

 古くから知られている病気で、紀元前1,100年代のエジプト王・ラムセス5世のミイラには天然痘の痘痕が認められた。日本には仏教とともに侵入し、たびたび流行を繰り返して恐れられていた。

 

西洋医学への関心を広めた「種痘」

 この天然痘を治療する手段がワクチンだった。

 1796年に英国の医師エドワード・ジェンナーが牛の病気である牛痘の膿を子どもに摂取したところ、天然痘を予防することを見つけた。この「種痘」が世界中に広がり、日本にも1849年に輸入された。明治政府は幼児への種痘を義務化し、多くの人が免疫を獲得した結果、1955年に日本で、1980年に世界で天然痘は絶滅した。

 江戸時代の人にとって種痘は魔法のような方法であり、西洋医療への憧れが一気に広がった。

 

絶滅した天然痘ウイルス

 こうして天然痘ウイルスは、人類が根絶に成功した最初の病原体になった。だから、このウイルスは自然界には存在しない。

 しかし、米国疾病予防管理センターとロシア国立ウイルス学生物工学研究センターには保存されているという。現在の人間は誰も免疫を持っていないので、もしウイルスが外界に出ると、現在の新型コロナとは桁違いの大惨事が起こる。保管は厳重に行われていると信じたい。

 

「解剖」を禁止した江戸幕府

 それより少し前の話だが、江戸時代の医者に衝撃を与えたのが、オランダの解剖学の教科書「ターヘル・アナトミア」だった。人体の内部を知ることは、医者としての常識だけでなく、病気の原因や治療法を知る上でも重要なのだが、日本には解剖学という学問がなかった。

 また江戸幕府は人体の解剖を禁止していたため、医者は中国の書物などで体内の様子を学ぶだけだった。1771年、幕府の許可を受けた杉田玄白らが、罪人の処刑場だった小塚原(荒川区南千住)で腑分け(解剖)を行った。そしてターヘル・アナトミアが正確であることに驚き、苦労してこれを翻訳し、1774年に「解体新書」を出版した。それ以来、蘭学、すなわち西洋医学を学ぶ医者が多くなったという。

 

 なお、幕府が腑分けを禁止していた理由は、処刑場の作業員が死刑囚の遺体から臓器を取り出して、薬として売買することを阻止するためだったという。

 現在でも熊の胆、オットセイの睾丸、鹿の角、マムシ、タツノオトシゴ、オオヤモリなど、多くの動物の組織が生薬として使われているが、当時は人の組織はもっと効果があると信じられ、高値で取引されたという。不老長寿を願う人間の欲望は際限がないといえよう。

(つづく)