2020/07/31

歴史から見えてくる課題は何か?(8)

 

 

仏教伝来が医療を広める

 日本の医療に大きな影響を与えたのは仏教の伝来である。538年に朝鮮半島の百済から日本に伝わった仏教は、天皇家の帰依によって日本全国に広まった。

 仏典には病気についての教えが多く含まれ、僧は病気平癒の祈祷や薬の知識を身につけて僧医となり、医療の中心になっていった。もちろん彼らのできたことの大部分は心の癒しである。

 

 医疾令が定める医療は、都の貴族と地方の豪族や役人のためのものだったが、仏教の広がりと共に全国に寺院が設置されると、僧侶が「僧医」として庶民のために加持祈祷治療と民間療法を行った。そして、このような状況は明治時代まで続いた。

 

江戸庶民に「医者」は高嶺の花

 江戸時代には「医者」がいたのだが、医者になるための国の免許などはなく、自分で医者と称すれば、だれでも治療ができた。だから競争が激しく、評判が悪ければすぐに廃業になったという。

 医者には、長髪の町医者と、剃髪をした僧医がいた。医者になるためには医学書を読まなくてはならず、医者は知識人でもあり、武士と同様に、苗字、帯刀を許されていた。だから、医者の費用は高額で、庶民が気軽に治療を頼めなかった。

 

頼りは「あん摩」「鍼灸」「骨接ぎ」「加持祈祷」

 それでは庶民はどんな治療法に頼ったのだろうか。現在もなお多くの民間療法が存在するが、そのなかで最も古い時代から世界各地で行われていた治療法はマッサージ(あん摩)である。次に古いのは鍼灸で、これは経穴(つぼ)と呼ばれる部位に刺激を加えて身体の機能を変化させようとする方法で、古代中国で生まれた。これらは仏教と共に日本に伝来し、医疾令に取り入れられている。

 日本独自の民間治療としては、江戸時代に体系化された骨折、脱臼、捻挫などの出血を伴わない非観血的な治療法である柔道整復術があり、「骨接ぎ」と呼ばれていた。このあん摩、鍼灸、骨接ぎが江戸庶民の医療を担っていた。

 これに加えて、庶民が健康を守る手段は、食事と、民間治療薬と、養生だった。当時の医療は、身体全体の調子を整えることで病気を治すという考え方で、日頃から「養生する」ことが大事であり、病気は不養生のためと考えられていた。また、中国で始まった「食薬同源」、すなわち、食事に薬と同じ作用があるという考え方も広まっていて、食事療法を教える和歌食物本草や、貝原益軒の養生訓などの書物は広く庶民にも読まれていた。

 

 江戸時代の庶民は、日が出たら起きて、日が沈んだら寝るという生活を続け、現代のサラリーマンに多いストレスが原因の病気は少なかったと考えられる。だから、江戸時代の庶民は、重病になった時以外は、医者の世話になることはなかったのだろう。そして、神社仏閣での加持祈祷もまた、庶民の健康維持と病気平癒の重要な手段だったのだ。

(つづく)