2020/09/10

歴史から見えてくる課題は何か?(11)

 

江戸患いと呼ばれた脚気

 何かの食品を食べると元気が出る、病気にならない、病気が治るなどの「食薬同源」に関する話は昔から後を絶たない。

 食事は空腹を満たすだけでなく、健康を守るためにも必要であることは、昔から多くの人が信じていたのだ。それが単なる迷信ではないという事実がある。

 

 昔から、多くの人が苦しんでいた脚気(かっけ)という病気がある。神経の炎症を起こして手足がしびれ、心不全が起こって体がむくみ、死亡することもある。江戸時代は脚気の病人が多かったため、「江戸患い」と呼ばれ、明治時代から戦後まで、年間1万人から2万人が脚気で死亡し、幼児の死亡も多かった。

 

米飯からパン、麦飯へ

 明治政府は欧米の仕組みを取り入れて、陸軍と海軍を創設した。軍備の近代化を図ったのだが、兵士の間で流行したのが脚気で、陸海軍とも兵士の4分の1ほどが脚気で倒れていたという。

 そこで、軍医だけでなく、医学界に求められたのが脚気の原因と治療法の研究だった。しかし、その成果はなかなか出なかった。

 

 そのなかで、海軍軍医の高木兼寛は、兵士が食べていた和食のタンパク質不足が原因と考え、1884年に、白米の代わりにパンを主食にする洋食に切り替えた。その効果は劇的で、2年後には脚気になる海軍兵士はほとんどいなくなった。その後、兵士はパンを嫌ったため、麦飯に切り替えられたが、これも大きな効果があった。パンの原料の麦に脚気を予防し、治療する効果があったのだった。

 

白米主義を貫いた軍隊

 高木の功績は非常に大きいものであり、それがすぐに認められて、脚気の治療に取り入れられたのかというと、そうではなかった。

 当時の日本は、ドイツ流の「科学に基づく医療」を取り入れることに熱心で、理論が分からないけれど結果が出たという「経験に基づく医療」を評価する医学関係者はほとんどいなかった。同じ理由で、「食薬同源」という考え方も排除された。

 そのため、陸軍は相変わらず白米中心の和食を続けた。それは、陸軍軍医のトップだった森鴎外が麦飯に反対したこともあったが、それだけではなく、兵士にとって白米のご飯は何よりのご馳走だったため、麦飯を嫌ったという事情もある。

 

 厳しい生活が続く軍隊では、食事の「楽しみ」という機能を無視できなかったのだ。その結果、1894~95年に行われた日清戦争の戦死者の約2割に当たる4,000人が脚気で死亡し、その後も脚気になる兵士は続出した。陸軍が白米に麦を3割加える食事に変更して脚気を減らしたのは1913年だった。 

(つづく)